ずっと夢見てた学校の先生になるのをやめた。理由は教育実習がキッカケだった。

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「小さい頃の夢」って、誰にでもありますよね。

僕もなんとなくですが、人並みに夢がありました。

小さい頃の将来の夢はコロコロと変わることも多かったですが、中学、高校と進学するにつれて、次第に自分の中で「これかも!」と思えることが明確になってきました。

それが僕にとっては学校の先生でした。

進学した大学は教育系の大学ではなく普通の大学を選んだのですが、そこで中学と高校の教員資格を取るための授業を履修。

そして大学4年生になって、いざ、教育実習!とハリキって望んだ結果、学校の先生になるのはやめよう、と思うようになりました。

ここでは、その理由を書いていきたいと思います。

この記事を書いた人
タカ
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学校の先生を目指している方へ

読みすすめていただく上で1点だけ誤解してほしくないのは、学校の先生になるのをお勧めしないという話ではありません。

学校の先生になるまでの過程や、先生として現場で働く上で大変なことはあるかもしれませんが、それはどの仕事に就いても同じこと。

本記事では、あくまでも個人の経験として「僕は合っていないな」と感じたことを書いた内容なので、もし学校の先生になることに迷っている方がいたら、何か参考になればと思います。

一応、先生を目指す上で読んでおいた方がいい本を紹介しておきます。

なぜ、学校の先生になりたいと思った?

では、本題です。

まずは、そもそも学校の先生になりたいと思ったキッカケから話していきます。

本格的に「学校の先生になりたい」と思うようになったのは、たしか高校生ぐらいの時期。

とはいえ、割と小学校1〜2年生ぐらいから「先生みたいになりたいなぁ〜」という憧れというか、夢はあったように思います。

テレビドラマの影響は大きかった

当時、流行っていたテレビドラマに『金八先生』『GTO』がありました。 

タカ

…あ、世代バレますね。笑

僕は、これらの学園ドラマに出てくる「金八先生」「鬼塚先生」を見て、その輝いている姿に憧れを抱いてました。

この2人の先生のタイプはまるっきり違いますが、先生としてのあるべき姿や生徒から信頼されている感じにとても影響を受けて、ベタですが「自分もこんな風になりたいなぁ」と当時思っていたのは、今でも覚えてます。 

先生に心を動かされた経験があった

こtrまでの学生生活の中で、先生から言われたことに自分自身、心を動かされたことが何度かありました。

学校は社会の縮図というぐらい、子供の時は考えが1つに偏りがち。先生が言うことは不思議と生徒たちに考えるキッカケを与えることができたり、時には心を動かすこともあるでしょう。

クラスのリーダー、教育者、人生の先輩など、場面に応じてその役割はさまざま。時には親のように心を鬼にして怒ることも必要でしょう。

そうやって、子供達と一緒に自分も成長していくことができるなんて、単純に素晴らしいなと感じてました。

教育実習から見えた学校教育の理想と現実

冒頭でも述べましたが、僕は教育系の大学ではなく、一般大学の社会学部に進学しました。

なので、通常の大学卒業に必要な単位とは別に、教職資格に必要な単位を取得する必要がありました。

タカ

これがなかなかシンドい…。

ほぼ毎日、1限から5限まで授業を受けて、さらに大学1・2年生の頃はバイトで夜勤をするぐらい余裕のない日々。

それでも、なんとか単位を取得していき、ようやく大学4年の5月に自分の母校である中学校に3週間の教育実習へ行くことになりました。

そして、その教育実習の体験を通して、自分が先生側の立場になって気づいた事がありました。

先生たちの業務量が完全にキャパオーバー

教育実習が始まりました。

実習のはじめの1週間は、クラスの担任の先生の下について代わりに出席を取ったり、朝の会や帰りの会などの司会進行をしていました。

そして、授業を始めたのは2週目から。

僕が授業をしている間、先生は教室の一番後ろの角に座り、授業を見ていました。

その他にも、授業以外で普段やっているクラス内タスクは僕が代わりにやったりしてました。

とはいえ、決して先生達が暇しているわけではありませんでした。

先生達は他にも、修学旅行の準備、学年集会の準備、保護者への対応、部活指導、授業時の資料作成など休まることはなく、猫の手も借りたいほど忙しくしていました。

タカ

先生たちのタスクの量が多く、手一杯。完全にキャパオーバーの状況のようでした。

「なにか手伝いましょうか?」と手伝いを志願したものの、状況を把握できていない僕たち教育実習生は手伝わせてもらえませんでした。

当然、先生は僕にかまっている時間はほとんどなく、僕が行った授業に対するフィードバックをもらうことすらできず・・・。

協力し合わない先生たち

先程の話に繋がりますが、先生同士が協力して決めなくてはならない事も多々あります。

しかし、実際にあまり協力している様子は見受けられませんでした。

後からわかったのですが、先生達は自分自身のことで精一杯で、他の先生の事を気にかけたり、時間を作って協力する余裕すらなかった、とのことでした。

たしかに、人手不足で大変な状況なのはわかります。

でも、教育現場で先生同士が協力し合わないのが当たり前のような雰囲気になっていることに、僕はとても違和感を感じ、正直言って失望しました。

教育の現場における閉塞感

やらなければいけないタスクの量が多すぎても、先生達はなんとかタスクを終わらせようと、夜遅くまで残ったり、朝早く来たりしていました。

ある日、忙しくしている先生に「先生達はいつも忙しくしてますが、明らかに人手が足りてないですよね?」と聞きました。

すると、返って来た答えが、「人手は確かに全然足りていない。でも、だからといって声を上げても国や教育委員会はどうせ対応してくれない。仕方なく受け入れるしかないんだ。」と。

その答えを聞いて、僕は驚きとショックでした。

困難な状況でも諦めず立ち向かうことを生徒達に教えることも先生の役割のはずが、簡単に諦めてしまっている。

本当にそれでいいのだろうか…。

でも、諦めざるを得ない状況とも言えます。

ある先生によると、いくら現場が声を上げたとしても国や教育委員会は聞く耳を持たない状況があり、先生達は仕方なく現状を受け止めるしかないと。

いや、そりゃそうかもしれないけど、何もしなきゃ何も変わらないのでは?

こう思いつつ、先生達は為す術がない状況で葛藤しているんだと感じました。

そういった教育現場の実情を知っていくこととなり、僕の気持ちは一気に冷めてしまい、最終的には「先生になる」ことをやめることに決めました。

今、思うこと。

教育実習を経験して、先生になるのをやめようと思ったのは、結果的に正解だったと自分では思ってます。

思えば、いくら教育現場の現実を目の当たりにしたからといって、先生になるのをやめようと思う人は、おそらく少ないでしょう。

本当に『先生になりたい!』『学校教育を変えたい!』という意思や情熱を強く持ってる人は、仮にどんなに受け入れがたい現実があっても、そのアツい気持ちが変わることはありません。

そういった意味で僕は、先生になりたい!という気持ちがそこまで強くなかったんだろうと思います。

でも、これで良かったんだと思ってます。

そんな中途半端な気持ちで先生という職業を選んでいても、教育をする立場の人間としても、生徒にとっても決して良くはありません。

自分には、先生という仕事は向いていなかったのです。

僕が自分の経験を通して言えることは、自分の中で何らかの迷いが生じた時は、一旦立ち止まってゆっくり考えてみても良い、ということでした。

  • なぜ、先生になりたいのか。
  • 先生になって何をしたいのか。
  • 先生として、自分は生徒に何を伝えることができるだろうか。
  • 教育者になる覚悟があるか。
  • 先生として、どういうキャリアを築いていきたいか。

先生になりたい人は、ぜひ一度自分の中で考えをまとめて整理してみるといいかもしれません。

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