どーも、タカです。
普段、日常生活であいさつすることは一般的ですが、あいさつが持つ本当の意味を意識したことはありますか?
私たちは『なぜ』 あいさつをするのか?
・あいさつした方が気分が良いから
・学校や会社では必ずあいさつをしなくてはならないから
・なんとなく
・理由を考えたことがない
このように、なぜ?と言われても理由は明確ではなく、“そういうもの” だから と感じる人も多いでしょう。
ぼくも以前はそう思っていました。
しかし、あいさつの持つ意味は、実はそれだけではありません。
今回は、意外と気づかない、でも言われてみると確かにそうかもしれない、と思える『あいさつ』という行為が持つ意味について、ぼくなりの見解を書いていきたいと思います。
あいさつは相手に敵意がないことを示す
そもそも、あいさつをするという行為は、相手に自分の心をひらく 意味があります。そして、心をひらくことで 相手に対して敵意がないことを示すことができる ので、好意的な人間関係を築くことができるようになります。
逆にあいさつをされないと、人は相手が敵意をもっているのでは?と無意識に警戒するようになります。
自分に対して好意的な人にはあいさつをしたい、嫌な人には「あいさつしたくない」と思うのは、人間の昔からある本能的な思考なんでしょうね。
あいさつは相手の存在を認める行為
相手に敵意がないことを示す以外にもう1つ、あいさつにはとても大きな役割があります。
実際に人にあいさつをする時を想像するとわかりやすいのですが、あいさつをする際、必ず相手のことを "認識" してから、あいさつという行為をしますよね。 これは、相手に対して「私はあなたの存在を認めてますよ」という意思表示をしているのです。
マズローというアメリカの心理学者が、人間の心理的な承認欲求には5つの段階があると定義しています。
そして、存在を認められたいという欲求 は、上から2番目の 自我欲求 になります。
もし仮に、周りの人全員が自分とほぼ話をすることがなく、あいさつすらしない状況が毎日続いた場合、あなたはどう感じますか?
『自分はこの場にいてもいなくても、どうせ誰も気づかないだろうな』
『何か悪いことしたかな…』
『もしかしたら自分は無視されているのかな…』
このように、ネガティブなことを想像してしまっても、全然おかしくはありません。
つまり、あいさつをすることで 相手に認められたという自我欲求が満たされ、あいさつをした人に対して好意的に接するようになります。
私たちは生まれてから今まで「あいさつ」をする理由について誰かに教わることは基本的にありません。親も学校も、「あいさつしなさい」と子供にしつけても、あいさつをする理由までは子供に教えないでしょう。だから、あいさつするのはなぜ?と聞かれても「え?なんで?って聞かれても」と理由を答えられないのです。
要は「あいさつ」しよう!ってこと。
色々と複雑な話をしましたが、要するに、みんながお互い気持ちよくあいさつしたらいいじゃん!ってことです。あいさつをする利点は多くあります。
・相手の存在を認めていると相手に意思表示ができる
・敵意がないことを示せる
・会話を始める上でのキッカケになる
・コミュニケーションツールになる
・自分も相手も気分が良い
あいさつって意外と、奥が深いんです。
しかし残念なことに、ここ最近はあいさつをしなくても良い、とする雰囲気や空気感があるように感じます。あいさつをするのが面倒臭いのか、あいさつしたくないのかはわかりませんが、これが当たり前になっていくのは、正直危ない気がします。
ただでさえ、SNSがコミュニケーションのツールとして一般的になっている今、人同士が直接会話をする機会は減っています。
しかし、SNSを使っている現代だからこそ、あいさつのような "簡易的な直接的コミュニケーション" が大事になってくると思うんです。
『あいさつなんて面倒臭い』なんて思う人はぼくからしたら論外です。そういう人に限って、相手からあいさつが無いと不快に感じるんでしょうね。『あいさつするかしないかは自分の勝手』と思っている人は、相手の事を全く考えていない自分勝手なやつです。
あいさつすることをネガティブに捉えてしまうのではなく、自分や他人にとってどうプラスになるか、とポジティブに捉えてみると、あいさつに対する考え方がもっと大きく変わるかもしれませんね。